哲学 2026.04.14

道徳感情論

アダム・スミスが『国富論』に先立って著した倫理学書。共感(sympathy)を社会の基盤とする思想を展開した。

Contents

概要

『道徳感情論(The Theory of Moral Sentiments)』は、アダム・スミス(1723-1790)が 1759 年に刊行した倫理学書。

スミスは経済学者として知られるが、本職はグラスゴー大学の 道徳哲学教授 であった。本書は『国富論』(1776)の 17 年前に書かれ、生涯にわたって改訂を続けた。市場論(国富論)の前に、道徳論(道徳感情論)があった——この順序はスミスの思想を理解する鍵である。

中身——共感と公平な観察者

スミスの倫理学の中心概念は 共感(sympathy) である。ここでの共感とは現代語の「同情」ではなく、想像力によって他者の状況に自分を置き、その感情を追体験する能力 を指す。

社会生活は共感のやり取りで成り立つ。私たちは他者の感情を想像し、同時に 他者から自分がどう見えるか を想像する。この相互作用から生まれるのが、「胸中の公平な観察者(impartial spectator)」 である。

公平な観察者とは、自分自身から一歩離れて、中立的な第三者の目で自己を評価する内的な審級。スミスはこれこそが良心の正体だとした。

論点

  • アダム・スミス問題 — 『道徳感情論』の共感と『国富論』の自己利益は矛盾するのか。19 世紀ドイツで提起された論争。現在では 連続説(共感の制度的翻訳が市場である)が主流
  • 徳の多元性 — 慎慮・正義・慈恵——スミスは徳を一元化せず、複数の徳のバランスを説く
  • ヒュームとの継承と差異 — 師ヒュームの共感論を発展させつつ、「公平な観察者」という超越的視点を導入した点が独自

現代への示唆

1. 共感なき市場は成立しない

スミスが想定した市場は、道徳的に陶冶された個人 によって営まれる場だった。共感も信頼もない無責任な自己利益追求は、スミスの描いた資本主義とは異質である。ESG や ステークホルダー資本主義の源流はここに見出せる。

2. 公平な観察者を社内に育てる

経営判断に倫理性を持ち込む最短の方法は、「もし利害のない第三者が自分を見たらどう評価するか」 を問う習慣化である。スミスの「公平な観察者」はそのまま経営ガバナンスの思想となる。

3. 慎慮(prudence)の復権

スミスは短期衝動を抑え長期的利益を見通す 慎慮 を市民の徳とした。四半期決算主義への解毒剤として、今こそ読み直すべき徳である。

関連する概念

共感 / 公平な観察者 / 『国富論』 / 見えざる手 / アダム・スミス問題 / 慎慮 / デイヴィッド・ヒューム

参考

  • 原典: アダム・スミス『道徳感情論』(水田洋 訳、岩波文庫、2003)
  • 原典: アダム・スミス『道徳感情論』(村井章子・北川知子 訳、日経 BP、2014)
  • 研究: 堂目卓生『アダム・スミス——「道徳感情論」と「国富論」の世界』中公新書、2008

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