Contents
概要
アクターネットワーク理論(Actor-Network Theory、ANT)は、フランスの哲学者・社会学者 ブルーノ・ラトゥール(Bruno Latour、1947-2022)、ミシェル・カロン、ジョン・ローらが 1980 年代以降に展開した理論。
科学社会学・STS(科学技術社会論)を越え、現代社会学・組織論・地理学に広範な影響を与えた。ラトゥールの主著『科学論の実在——パンドラの希望』(1999)、『社会的なものを組み直す』(2005)で理論的整備が進んだ。
中身
アクターとは何か
ANT の中核思想は、人間と非人間を対称的に扱う点にある。「アクター」とは:
- 人間(科学者、経営者、顧客)
- モノ(試験管、計測器、ドアクローザー)
- 自然物(微生物、ホタテ貝)
- 抽象物(法律、プロトコル、規格)
何かに作用を及ぼし、ネットワークを変える存在はすべてアクターである。「モノは受動的な背景ではなく、行為者である」——この対称性原理がラトゥール思想の核心だ。
翻訳の連鎖
社会や科学的事実は、アクター間の翻訳(translation)——利害・目的を別の形に変換して結びつける過程——の連鎖として構築される。パスツールが炭疽菌ワクチンを「発見」した過程は、微生物、農民、実験室、統計、政府が互いを翻訳しあうネットワークの形成だった(『パストゥール——革命者』1984)。
「我々は近代人であったことがない」
ラトゥールは 1991 年の同名書で、近代が前提とする「自然/社会」「人間/非人間」の二分法は成立しないと論じた。気候変動、パンデミック、AI——現代の問題はすべてハイブリッド(自然と社会の混成物)である。
論点・批判
- 社会学からの批判——モノに行為者性を認めるのは比喩の濫用だとの反論
- 構造的説明の放棄——階級や資本主義などのマクロ構造を説明できないとの批判
- 一方で 気候危機・人新世の時代に、自然と社会を分けない思想として再評価が進む
- ラトゥールは晩年、地球(ガイア)を政治的アクターとして捉え直す『ガイアに向き合う』(2015)を執筆
現代への示唆
1. モノも組織の行為者である
職場のレイアウト、Slack、Excel、VPN——これらは受動的ツールではなく、意思決定に影響を与えるアクターである。「DX は単なる道具の導入ではない」という直感を ANT は理論化する。ツールが変われば組織の行為が変わる。
2. ネットワークで事業を見る
事業は、顧客・社員・サプライヤー・規制・技術・データが織りなす異種混交のネットワークである。どの点を締めれば全体が動くか、どの結節点が脆弱か——ANT 的視点はシステム思考・エコシステム戦略の哲学的基礎を与える。
3. 翻訳の技術
CEO の戦略、現場のオペレーション、エンジニアのコード、投資家の数字——これらは別言語で話す異質なアクターである。優れた経営は、これらを互いに翻訳して結びつける営みにほかならない。翻訳力こそが組織的行為者性の源泉である。
関連する概念
ラトゥール / カロン / STS / 科学社会学 / クーン / ハラウェイ / 人新世
参考
- 原典: ラトゥール『社会的なものを組み直す——アクターネットワーク理論入門』(伊藤嘉高 訳、法政大学出版局、2019)
- 原典: ラトゥール『虚構の「近代」——科学人類学は警告する』(川村久美子 訳、新評論、2008)
- 原典: ラトゥール『科学が作られているとき——人類学的考察』(川崎勝・高田紀代志 訳、産業図書、1999)