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概要
印象派(Impressionism、仏 Impressionnisme)は、1874年4月、パリのナダール写真館での第1回展(正式名称「画家・彫刻家・版画家・他の無名芸術家協会展」)をもって成立した絵画運動。
運動名は、ルイ・ルロワが批評記事でモネ『印象・日の出』を揶揄した言葉から定着した。アカデミズム絵画の規範を拒絶し、新しい視覚を提示する革命運動だった。
様式・技法
技法上の特徴は以下である。
戸外制作(プレネール)——チューブ入り絵具の普及により、画家はアトリエを出て戸外で直接描くことが可能になった。
筆触分割——色を混ぜずにキャンバス上で隣接させ、観者の目で混色させる。これにより画面は鮮やかさを失わず、光の震えを表現できる。
日常生活の主題——歴史画・神話画ではなく、鉄道、ダンスホール、郊外の行楽、アトリエの女性、パリの街路が主題となった。
代表作には、モネ『印象・日の出』(1872)、ルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(1876)、ドガ『舞台の踊り子』(1878)、カイユボット『パリの街角・雨』(1877)がある。
背景・意義
背景には、写真の発明、化学合成絵具の登場、オスマンによるパリ改造、日本美術ジャポニスムという複数の時代要因があった。
第1回展は7人が参加し、1886年の第8回展まで続いた。毎回メンバーの入れ替わりがあり、一枚岩の運動ではなかったが、アカデミー・サロンの権威に対するオルタナティブとして結集した意味で画期だった。
今日では穏やかな「名作」と見なされがちだが、当時は批評家から激しく嘲笑された。市場価値は後世に劇的に反転する——それ自体が、革新が時間を要するという教訓である。
現代への示唆
オルタナティブの場を作る
サロン落選組が自ら展覧会を組織した構図は、既存のゲートキーパーを迂回する現代の起業・インディペンデント運動に重なる。批判するより自分の場を作る。
新技術が表現を変える
チューブ絵具、鉄道(郊外制作)、写真、化学顔料——複数の技術革新が印象派を可能にした。環境の技術条件が美学を規定するという見方は、デジタル時代の表現にも通じる。
共通の敵と緩やかな同盟
7人は必ずしも技法や理念が一致していなかったが、共通の敵(アカデミズム)が連合を成立させた。企業連合・業界団体の形成原理と同型である。
関連する概念
- モネ
- ルノワール
- ドガ
- ジャポニスム
- サロン・ド・パリ
参考
- 高階秀爾『近代絵画史』中公新書、1975(新版2017)
- 島田紀夫『印象派の歴史』講談社学術文庫