Contents
概要
状況に置かれた知(situated knowledges)は、アメリカの科学史家・科学哲学者 ダナ・ハラウェイ(Donna Haraway、1944-)が 1988 年論文「Situated Knowledges: The Science Question in Feminism and the Privilege of Partial Perspective」で提示した概念。
伝統的な科学観の「どこにもない視点から見る」(the god trick、神の技)という客観性モデルを批判し、すべての知は具体的な身体・歴史・立場から生まれると論じた。フェミニスト科学哲学の基礎文献。
中身
客観性の二つの罠
ハラウェイは、フェミニズムが直面する客観性論争を整理する:
- 伝統的客観性——観察者の立場を消した「神の視点」。実は白人男性中産階級の視点が普遍として扱われてきた
- ラディカル相対主義——全ての知は文化的構築にすぎず、客観的真理はない。しかしこれも責任を放棄する「神の技」である
両者ともに「どこにもない視点」を装う点で同じ罠だとハラウェイは喝破する。
部分的視点の特権
代替案は「部分的・具体的・位置づけられた」知である:
- すべての視覚はある身体から見る視覚である
- すべての知は誰が、どこから、誰のために語っているかを明示すべきだ
- 部分性を引き受けることこそが責任ある客観性である
これを状況に置かれた知と呼ぶ。相対主義ではなく、位置の責任(accountability of position)を伴う強い客観性である。
サイボーグ宣言からの接続
前作『サイボーグ宣言』(1985)で論じた「境界が溶けた混成的存在」の議論と連続する。人間/動物/機械、自然/文化、男/女——これらの区別は、特定の視点からの区別にすぎない。
論点・批判
- 相対主義との混同——表面的には「全てが立場次第」と誤読される
- 実際には、位置の明示により異なる立場の知を翻訳・対話させることが可能になる、という建設的提案である
- 現在、参加型デザイン、先住民知、患者当事者研究、インクルーシブリサーチなどの実践的基礎となっている
- ラトゥール、ウィ・ツンガ、サンドラ・ハーディングらと共に、ポスト実証主義科学論の中心を形成
現代への示唆
1. 立場性の自覚
経営判断は「誰の視点から」為されているか。CEO、本社、東京、男性、高学歴——無自覚のまま「普遍的判断」として押し付けることは、神の技の再演である。自分の位置を名指す勇気が判断の誠実さを保つ。
2. 多様性の認識論的意味
ダイバーシティは倫理的要請である以前に、認識論的要請である。異なる位置からの知が集まって初めて、一つの位置では見えない現実が輪郭を持つ。多様性は意思決定の質の問題であり、福利厚生の問題ではない。
3. 当事者の視点を特権化する
顧客、現場作業員、障害者、マイノリティ——直接の当事者が持つ知は、外部からの「客観的」分析に対して認識論的に特権的である。ハラウェイの議論は、当事者参加型の経営を哲学的に正当化する。
関連する概念
ハラウェイ / フェミニスト科学哲学 / サイボーグ / ラトゥール / STS / 当事者性 / ダイバーシティ
参考
- 原典: Haraway, D. “Situated Knowledges” Feminist Studies 14(3), 1988(邦訳:『猿と女とサイボーグ』に収録、青土社、2000)
- 原典: ハラウェイ『猿と女とサイボーグ——自然の再発明』(高橋さきの 訳、青土社、2000)
- 原典: ハラウェイ『伴侶種宣言——犬と人の「重要な他者性」』(永野文香 訳、以文社、2013)