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概要
iPS細胞(induced Pluripotent Stem Cell、人工多能性幹細胞)は、体細胞に特定の遺伝子を導入することで多能性を誘導した幹細胞である。2006年、京都大学の山中伸弥(1962-)らがマウスで、2007年にヒトで作製に成功した。
iPS細胞は自己増殖能と分化能を備え、あらゆる細胞種に分化できる。受精卵由来のES細胞と異なり、倫理的問題(胚の破壊)を回避でき、患者自身の細胞から作製すれば免疫拒絶の問題も解消される。
発見の背景
1990年代、体細胞核移植(クローン技術)により、体細胞の分化状態は可逆的であることが示唆されていた。1996年のクローン羊ドリー、2002年のミオドクター遺伝子によるリプログラミング示唆などが背景にあった。
山中は2000年代、胚性幹細胞で高発現する遺伝子群の中から、多能性を誘導する最小の組み合わせを探索した。研究室のメンバーが24遺伝子を候補とし、10年近くかけて組み合わせを絞り込んだ。最終的に、Oct3/4、Sox2、Klf4、c-Myc の4因子で成人の体細胞を多能性状態に戻せることを発見した。
2006年のマウス論文『Cell』、2007年のヒト論文は世界に衝撃を与えた。特にヒト論文は、米ウィスコンシン大のトムソンらとほぼ同時発表だったが、4因子の簡潔さで山中のプロトコルが標準となった。
2012年、山中とガードン(細胞核移植の先駆者)にノーベル生理学・医学賞が授与された。発表から受賞までわずか6年という異例の速さだった。
意義
iPS細胞は、再生医療の基盤技術として期待される。網膜色素上皮細胞移植(理研、2014年世界初のiPS由来細胞移植)、パーキンソン病ドーパミン神経細胞移植(京大)、心筋細胞・血小板・軟骨など、臨床応用が段階的に進んでいる。
さらに疾患特異的iPS細胞——患者の体細胞から作製したiPS——は、疾患モデルとして創薬スクリーニングや病態解明に用いられる。希少疾患の研究、個別化医療、毒性試験——医薬品開発の革新的プラットフォームとなっている。
日本政府はiPS細胞を戦略領域と位置づけ、CiRA(京都大学iPS細胞研究所)を中心に長期研究投資を行ってきた。基礎科学から医療応用へと展開する国家的イノベーション戦略の成功例として注目される。
現代への示唆
探索空間の組み合わせ最適化
24候補から4因子を見つける過程は、膨大な組み合わせからの効率的探索の典型例である。事業戦略でも、成功要因の候補を洗い出し、組み合わせを絞り込む体系的探索が、直観的試行より速く高品質な解に到達する。計画的実験設計の経営的価値である。
「戻れる」という発見
分化した細胞は元に戻らない、という不可逆性の前提を、山中は打ち破った。組織・キャリア・市場でも「もう戻れない」と諦められていることが、条件を満たせば戻れる場合がある。固定的前提を疑う姿勢が、新しい選択肢を開く。
応用可能性の広さを設計する
iPS細胞は再生医療だけでなく、創薬・病態解明・毒性試験など多方面に使われる。単一技術で複数市場に届く設計が、技術の生存可能性を大幅に高める。プラットフォーム志向のイノベーション戦略の典型例である。
関連する概念
- DNA二重らせん
- 細胞説
- CRISPR-Cas9
- ES細胞
- 再生医療
参考
- 山中伸弥、緑慎也『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』講談社、2012
- 八代嘉美『増補改訂版iPS細胞』平凡社新書、2013
- 京都大学iPS細胞研究所編『iPS細胞の歩み』化学同人