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概要
ハンムラビ法典は、紀元前1750年頃、バビロン第1王朝6代目の王ハンムラビによって編纂された成文法典である。高さ2.25メートルの玄武岩の石碑に楔形文字で刻まれ、前文・282条の条文・後文から構成される。現在はパリのルーヴル美術館に収蔵されている。
現存する法典としては最古級であり、シュメールの先行法典(ウル・ナンム法典など)を踏まえつつ、広域国家の統治ツールとして体系化された点に特徴がある。
中身
条文は裁判の判例を集成した形式で、刑法・民法・商法・家族法・労働法にまたがる。
- 同害復讐の原則: 「自由人の目をつぶした者は、その目をつぶされる」(第196条)
- 身分による量刑差: 被害者・加害者の身分(自由人・半自由人・奴隷)により罰が異なる
- 契約と証書: 売買・貸借・雇用は契約書と証人を要した
- 専門職の責任: 医師の医療事故、建築家の建物崩壊、船頭の過失にまで細則が及ぶ
- 家族と相続: 結婚契約、離婚、子の相続権の詳細な規定
石碑の上部には、ハンムラビが太陽神シャマシュから法を授かる浮彫が刻まれている。
背景・意義
ハンムラビ法典の革新性は「成文化」と「公示」にある。王が個別事案を裁く恣意的統治ではなく、あらかじめ公開された条文が誰にでも参照可能な形で存在する——これが近代的な「法の支配」の原型となった。
「目には目を」は野蛮に聞こえるが、当時の実態は加害者への無制限の報復を「同等まで」に制限する抑制装置だった。刑罰の予測可能性を担保する仕組みだったのである。
現代への示唆
ルールの明文化が恣意を排除する
属人的な判断から成文の規則へ——これが組織ガバナンスの第一歩である。就業規則、稟議規程、コンプライアンス規定は、紀元前の石碑と同じ機能を果たしている。記されない規範は、裁量という名の恣意に堕する。
公示されて初めて規則になる
ハンムラビは法典を広場に立てた。社員が参照できない規則は規則ではない。ナレッジベース、ハンドブック、SlackのPinnedは、石碑の現代的変種である。
役割に応じた責任体系を設計する
医師・建築家・船頭それぞれに責任条項が与えられていた。現代でいう職種別のJob Description・責任範囲・評価基準の明文化に相当する。役割が曖昧な組織ほど、事故時に責任の所在を巡って紛糾する。
関連する概念
- メソポタミア
- ウル・ナンム法典
- 楔形文字
- ローマ十二表法
- 法の支配(rule of law)
参考
- 中田一郎『ハンムラビ「法典」』リトン、1999年
- 中田一郎『ハンムラビ王 ― 法典の制定者』山川出版社、2014年
- 小林登志子『文明の誕生 ― メソポタミア、ローマ、そして日本へ』中公新書、2015年