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概要
キューバ危機(1962年10月16日〜28日)は、冷戦期に人類が核戦争に最も近づいた13日間と呼ばれる。ソ連のキューバへの中距離核ミサイル配備を、米国が偵察機で発見したことで始まった。
軍事的圧力と外交的駆け引きが極限の時間枠で交錯し、最終的にソ連がミサイル撤去、米国がトルコからのミサイル撤去(秘密条項)で合意に至った。
経過
10月14日、U-2偵察機がキューバに建設中のミサイル基地を撮影。16日、ケネディ大統領は「エクスコム(執行委員会)」を招集し、軍事侵攻と海上封鎖を中心に選択肢を検討した。
軍部は即時空爆を主張したが、ケネディは22日、テレビ演説で海上封鎖(「検疫」と呼称)を発表。ソ連船舶との接触直前の24日、ソ連船が反転。27日には米偵察機がキューバ上空で撃墜され、緊張は頂点に達した。
同日、ケネディは弟ロバートを通じソ連大使に「キューバ撤去と引き換えに、公にはしないがトルコのミサイルも撤去する」と伝達。28日、フルシチョフが受諾し危機は回避された。
背景・影響
背景にあったのは、米ソ核戦力のアンバランスと、前年の「ピッグス湾事件」(米国のキューバ侵攻失敗)への報復意図である。フルシチョフは米国のトルコ配備ミサイルへの対抗も狙った。
危機後、米ソは偶発的衝突を避けるためホットラインを設置、63年には部分的核実験禁止条約を締結した。皮肉にも、核戦争の恐怖が両国に自制を学ばせた。
ケネディの決断プロセスは、グレアム・アリソンの著書『決定の本質』(1971)で詳細に分析され、組織論・意思決定論の古典となった。
現代への示唆
時間を買う選択肢が命を救う
ケネディは空爆(不可逆)より封鎖(段階的)を選んだ。不可逆的な決断を避け、時間を稼ぐ選択肢の設計が危機管理の要諦である。
グループシンクを避ける仕組みを作る
エクスコムでは大統領が意図的に退席し、反対意見を出しやすくした。経営会議でも、最高権力者の不在時間を設計することで議論の質が変わる。
敵にも「名誉ある撤退」を用意する
秘密条項でトルコ撤去を約束したことで、フルシチョフは国内向けに顔を立てられた。交渉では相手の「降り方」まで設計することが、合意を持続させる。
関連する概念
- 冷戦
- 相互確証破壊(MAD)
- グループシンク
- 『決定の本質』