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概要
アレクサンドロス大王(紀元前356-前323)は、マケドニア王国の王。父フィリッポス2世が整えた軍制を引き継ぎ、紀元前334年にペルシャ遠征を開始、わずか十年余りでアケメネス朝ペルシャ帝国を滅ぼし、エジプト、中央アジア、インダス川流域までを征服した。
32歳でバビロンにて病没するまで、一度も敗れなかった軍事的天才であり、東西文化の融合を志向したヘレニズム世界の創始者である。
中身
アレクサンドロスの遠征は4つの決戦で特徴づけられる。
- グラニコス川の戦い(前334年): 遠征初期の勝利でアナトリアを解放
- イッソスの戦い(前333年): ペルシャ王ダレイオス3世を破る
- ガウガメラの戦い(前331年): ペルシャ帝国の命運を決した決戦
- ヒュダスペス川の戦い(前326年): インダス流域でポロス王を破る
軍事的勝利にとどまらず、彼の構想は独特だった。
- 征服地ではペルシャ式宮廷儀礼を取り入れ、ペルシャ人貴族を登用
- マケドニア兵とペルシャ女性の集団結婚を奨励(スーサの集団婚礼)
- 各地に「アレクサンドリア」を命名した計画都市を70以上建設
- ギリシャ語がオリエント世界の共通語(コイネー)となる基盤を作った
背景・意義
ペルシャ帝国を打ち破っただけならば、古代の軍事英雄の一人にすぎない。アレクサンドロスが歴史的意義を持つのは、勝者が敗者の文化を取り込もうとした点にある。
これは当時のマケドニア兵にとっては裏切りにも見え、晩年には部下の反乱を招いた。しかし彼の死後、後継者(ディアドコイ)たちが分割統治したヘレニズム世界では、ギリシャ文化とオリエント文化の融合が進み、後のローマ帝国・イスラム文明・西欧中世に至る文化圏横断の基盤となった。
現代への示唆
ビジョンが限界を拡張する
合理的に考えれば、マケドニアという辺境小国がペルシャ帝国を倒すのは不可能だった。しかし「世界の果てまで行く」というビジョンが兵士と資源を動かした。ビジョンとは現実的でない目標のことであり、現実的な目標しか掲げないリーダーは現実しか動かせない。
勝者が敗者に学ぶ
アレクサンドロスはペルシャを倒した後、ペルシャのやり方を学んだ。M&A後のPMIでよくある失敗は「征服者の論理」を押し付けることだ。買収したのだから相手方の優れた点を吸収するのが合理的で、それに部下が反発するのは別の問題として扱うべきである。
カリスマは継承で試される
アレクサンドロスの帝国は彼の死と同時に分裂した。「後継者を育てる」という最重要業務を後回しにした代償は致命的だった。どれほど圧倒的な個人能力でも、継承設計のないリーダーシップは自分の寿命分しか持続しない。
関連する概念
- マケドニア
- アケメネス朝ペルシャ
- ヘレニズム
- アリストテレス
- ディアドコイ
参考
- 森谷公俊『アレクサンドロスの征服と神話』講談社、2007年
- 森谷公俊『アレクサンドロス大王 ― 「世界征服者」の虚像と実像』講談社選書メチエ、2000年
- 澤田典子『アレクサンドロス大王 ― 今に生きつづける「偉大なる王」』山川出版社、2013年